気を遣いながら

黙々とやるべきことをしてきました。
論より証拠、口より行動です。教え子たちには自分の背中を見て学ばさせて会得してもらってます。しかし自分の行動を知らない教え子には期待してはいけないと感じてます。何のための行動なのか、見る力がない子は自分勝手だと相場が決まってます。それか、ずるさや悪意があったり病気だったりです。口ばっかりや他人任せが見本になっている、可哀相な子が存在してるのを感じています。グランドに無許可で侵入しバットを振り回して野球をしている小学生にイラついてます。毎回、整備せずにやりっ放しで帰りますからね。注意すると文句を言われたと言われるので関わりたくありませんが、グランド整備しなさいと、わざわざ言いに行くことになりますよね。うちの子供たちが、毎回のように尻拭いをしていますから。しかし我がチームの子も、私の知らない場所では何をしているか分かりません。今年からでしょうか自信がなくなりました。私の今までの行動に何も感じてない気がするのです。わざと感情を出したりしてるのですが。
数年前、私が注意をしに行こうかと思ってた時に、一人で注意をしに行った子がいました。私の真似だそうです。男らしい立派な態度は普通によく見られる時代だったのでしょうか。今の今はどうでしょう?
今年から時代が変わったのであれば来年度も同じ資質の子供たちがチームのメンバーなのでしょう。確実に違うと宣言出来ますが。

見る力が養われるトレーニングをチームでの練習メニューに入れるほど、時間と場所が容易されるわけではないですね。勉強会やミーティングには全員揃わないのが証拠です。しかも能力がある人間ほど休まず要求をしてくる。継続こそが能力である。少数だったのが多数に、多数だったのが少数に。良いこと悪いことが入れ違ってるのが悲しい。

私はやるべきことをやってます。少し役割分担して欲しいものですが、己の時間や仕事の時間を子供たちに割いてくれる大人はなかなか居ません。嫌われ役も誰も引き受けませんよね。