習い事

 幾つか習い事をしてると全てを続けるのは難しくなる。満足する成績が出て辞めるか高みを目指すか、価値を決めて継続の有無を選択する。全てを辞めずに続けるには、全てを好成績にならない能力のままでいること。壁にはぶつからず、ライバルを作らず( ^ω^ )

能力の高くもなく低くもない人間は同じレベルで嫌にならずに続けて行ける😁

バカのまま勉強していれば、高次元の回答を要求する問題には当たらず、お客さん扱いの学校や塾に行けば何も気がつかない幸せで過ごせるのだ。賢くなればなるほど時間のかかる問題を解くことが毎日の日課になって、他のことに時間を費やすなんてストレスになってくる。

弱く下手くそのままスポーツをやっていれば、いつかきっと誰からも期待されず、高い要求を応えるなんてことは諦められて気楽に過ごせるというもの。強くたくましく、上手になればなるほど、要求度は高くなり、練習量は増える。やはり他のことに時間は譲れない。

 

子供がサッカーの練習に来るもの習い事の一つになる。塾に来るのも同じ。習いに来てる子に教えるのは使命である。

勉強が簡単なのは、体と心は育てなくてもプロフェッショナルになれる。

サッカーは体だけでは何者にもなれない。それどころか、クズになることが多くありうる。

隣を見ればよく分かる!と、毎度のセリフだ。私の隣という表現、物理的な距離ではないぞ。

人間味が薄っぺらくクズになってる大人がサッカーのコーチをやってるなんて、まぁ多すぎて普通のことに思えてしまう残念な時代、私は染まる事なく生き様は貫き通してやろう(^_^)

 義務教育も通学しなくていい時代らしく、YouTubeで金稼いだら不登校でも許されるみたい。親が賢いのか学校側が馬鹿なのか、全くの関係ない俺は見てて楽しくてしょうがない😁不登校、私の時代は教員ごときが暴力で敷地内を掌握してたのだが、餅は餅屋の出番を設けられてしまって、ヤクザに脅され泣いてる教員の姿を沢山見てきた。相手の得意な分野で退治することに命をかけてきた結果だ。

その時仲間とも思われる教員が、同僚を助けるようなことなどなかった。

指導者を選ぶ権利も剥奪されてる不自由な社会で俺たちは全員育ったのだ。今は義務教育すら行かなくても大丈夫なんだろ?

せめて自分が教わる先生くらいは信頼のある親に選ばさせてほしい。