全日前にこそ正直に

調整のため練習日や時間を増やしてくれと毎年お願いをされてきた。会場を用意されたりするものだから、指導者としてもやる気にならざるをえない。

しかし何も要望がなかったらどうすべきか。
要望もないのに供給をすることに躊躇してしまう。リーダーたるもの、要所での独裁は必要だと思っているのだが、どうしても気を使ってしまう。無理をすべき日は、6年生になってからしかなく、年にわずかな回数でしかない。踏ん張りがきかない人間との違いが日々の生活習慣から正直に表れるのだ。

ぼったくり会場使用料を払わないと練習が出来ない環境で活動しているハンデは、誰かが犠牲にならないと子供たちに平等な教育は施されない。その誰かとは大人であれば誰もが該当するはず。子どもたちのために働く大儀に傍観は俺にはできない。
年に何回も言っていることの一つに、練習会場さえ安定して確保させてくれたらとハード面での敗者の愚痴を漏らしてしまう。
芝で練習したり照明のあるグランドを用意できたりするチームが選手育成にフライング以上有利に決まっている。練習せずに技術は身につかない。

親からの練習増加要求がない理由は、お金と送迎が大半を占める。自分の時間が必要だと嘆く親は論外だが、子どものために頑張りたいけど練習する場がないことにはどうしようもない。

練習出来る環境があるなら選手を育てる責任を背負わなくてはならない。ボランティアコーチなら、身銭を出して指導している俺より待遇がいいはず。責任ある行動を言葉より文章より見せなくてはならない。