自己視力レベル

人を見抜くことが出来なければ子供の能力も見抜けない。自分の視力はどれほどのものか。他人の視力はどれほどのものなのか。比べることは大切である。

平日の練習は3回、選手の出欠状況を分析してみると、意外なことなどは発覚しない。日頃の注意力さえしっかりと持っていれば、教え子に対しびっくりするようなことなど起きはしない。少年サッカーに携わって人間の裏切りと嫉妬を痛感、本質が見抜けるようになったのも、卑しい人間を沢山見てきてしまったせいでもある。きれい事のオンパレードが自己評価を自己的に上げる手法だと気づくのもFacebookのお陰かと。公開ナルシストは人気者みたいだ。イイものに影響を受けるより、悪いものに反発して身に付けたスキルの方が大きい。これは万人に通じるものではないみたいだが。

偽物によって気づかされることが多いと感じる近年、人の言葉より行動を重んじるようになってきた。自分では行動しないくせに偉そうなことを言ってる大人に、過去どれだけ嫌悪感を抱いたか、もっともっと思い起こそうではないか。大人ぶるのはしばらく後にして、もう少しの年月、今まで通り正直に生きようと思う。

今日もまた、グランドを無許可使用の後整備もしないまま帰って行った周陽中のジャージを着ていた少年と他数名、いつか制裁が!と思うようになってきました。自転車でグランドに乗り込むのも止めさせるよう管理すべき体協にも、以前のように指導しに行かなければならないかもしれない。ヘルメットを被らず2人乗りでウロウロする原付バイクもいるような環境で小学生たちがサッカーをしている。我々が場所を変え暗闇の中サッカーをさせるのか、違反者を追い出す行動に私個人が奮起するのか、考えるだけでもイラつく問題である。