車社会のモラル

俺が停める場所に車が停まっていた。この2週間で3度目だ。年寄りの趣味のカラオケが目的で、スナックに行きつめている客の1人、この婆に文句を言う趣味はないので、飲み屋のマスターに大文句を言う。俺のペースなら1回目の迷惑駐車で怒鳴り込んでる。感情はコントロールし我慢もしてみた。
マスターは俺を面倒な相手だと思ってるからか、即謝ってくるから喧嘩にならない。暇潰しにもならん。
レッカーを呼んで、俺のストレスを婆にあげることもしなかった。相手が雄、チンピラみたいな奴だったら合法的にやっつけてあげたのに。婆に優しくしてしまうのは、侠客に生きているから。学校の授業で習ってないことであり、学校社会で身に付いたものと真逆のことである。不法に停めてても許してあげるなんてさ。見て見ぬふりは教師にありがちでよく見てきた風景。注意しても反撃を喰らうのもしかり。暴力で押さえつけるのも同じ。
全て真逆の態度が俺の生き様である。


しかし暇だといかんな。二車線しかない右車線を50キロで走る車がいて、私は暇なので左車線を法廷速度の50キロで並走した。
渋滞っぽくなるのは右車線の車のせい、どの車も右車線の車にイライラしてる。マイペースは社会のストレスになることを知ろう。

初対面の年輩の人を家まで車で送ってあげた。頼まれたわけでもなく、有料ドライバーなわけでもなく。
見ず知らずの歳上の人には関わらないように学校で教わったけど。
無駄に油を使い、気も使い、俺の行動は間違ってはいないはずだ。車内は狭い空間である。コミュニケーションは取りやすい。
明日は子供たちを乗せて試合に行く。コミュニケーションを取らない取れない人間は、必ず失望の人生が待っている。一生懸命伝えてることの1つであり知らない教え子はいない。車内も車社会の常識である。