己のあり方

耳目や爪牙や腹心が自分には見合ってるのかもしれないと、独りになる度に思う。
子供たちに対して爪牙、チームに対して耳目、かれこれ二十数年間、サッカーの指導者をやってきた。仕事にプライベートを全て犠牲にして続けていると、いつの間にやら望んでいなかったリーダーという立ち位置に居るではないか。そのリーダーの役割を担うなんて格好がいいように見えるようだが、自己満足に浸る人格を持っていない気性には何の力にもならないとみえる。
と同時に大きなストレスになりかねない。発散すれば、出来れば、個人的には問題解決になりうるが、現実を打破したことにはならないだろうと冷静に自己を見てしまう。

天に応じ地に合わせ人に拠ると学んだ。チーム化は人に拠り、無償サッカースクールのタイミングは天に応じていた。ゴールのある練習場がなかったり追い出されたりしたのは地に合わせたとは言い難い。天の時、地の利、人の和、これらが揃った時期もある。チーム育成の結果は言うまでもない。
時を待つわけにいかないのが選育成である。地の利に時間をかけるわけにもいかない。人なんぞ選んで教えるのは非人道的すぎて情に生きる私には出来ない。

人の去る季節に私は旅に出たくなる。ギャンブラーから風来坊へと移行するのも楽しそうだが。
3月から新年度である。24年間代表をやってきたスポ少を抹消して、身も心も身軽になり財布もエコロジーになる。所属の小学校は廃校寸前なわけで、私の役目は十二分に果たしたと思う。有料である児童クラブより優良だと地元の年寄りに褒めちぎられながらも、行政の腐った圧力に屈しなかった24年間の反撃に驚嘆している。
疲れましたね。