いつも思っていること

朝6時30分起きの4連休が終わり、翌日も疲れとは裏腹に目が覚める。規則正しい生活に慣れていない体は日頃と違う痛みが襲いかかった。まあ辛抱するしかないわけで。
休日に試合が行われ平日に練習をする。その習慣を続けたいと一生懸命チームを運営している。結果選手たちには大きな糧となるだろう。引率してくれる大人には感謝しなければ。
知った気な大人は腐るほどいるが本物とどうかは怪しい。技術的指導やアドバイスを親が子へ言うことが、チームにとって足かせになり選手にとっては成長を妨げることになる。その一言を応援メッセージに変えてやるのが育ての親というもの。子を育てることが出来ない親が存在する。だから最近、親(大人)を俺たち(選手とともに)は見下している。
サッカーを知った気な大人は腐るほどいる、本当に腐ってくれれば迷惑がかからないことになるのだが。

したことの後悔は日に日に小さくすることが出来、していないことの後悔は日に日に大きくなるという。しかし、大人がやってしまった後悔は日に日に大きくなり、それが子どもに影響することなど許されるものではないと思う。
我々のチームには、技術介入してきていいほどの器を持った経験者は存在しない。何故ならば、自分で無から作りだすことが出来ないことが証明されてるからだ。己が己の哲学を持って指導をできるならば、自然に人は集まり指導する環境を周りが作るだろう。そして自分の子を他人のチームに入れはしない。スクールのまま停滞するはずもない。素早くチームは出来る。それが求められてる指導者というもの。沢山の子から指導者として求められてはいない人、そんな奴が技術指導を家庭内でやるなんて、その子の可能性を小さくしているようなもの、残念ながら俺の近くから、俺のチームから離れろ、、、とまあ、少なからずこれから先のことを想定してのコメントだが、当てはまりそうな大人は多いかもしれない。
あまりにも寄り付くな的な発言をしていると、中途半端な人間作りの手助けにもなりかねない。我がチームで賢くなれたはずの親子が、門前払いによって愚かな人間形成に嵌ってしまうのも幼気ない気がする。せめて近くにいる親子だけでも立派になってもらおう。協力は惜しまない。


本当の意味での子どものため、親の武運を祈ろう。