練習に手応えを

情熱を持って接すると本気の指導になるのは本来好きではない。ちゃらんぽらんなら人気者になれるし得意分野でもある。選手を鍛えてくれる嫌われ役が居てくれたら、コーチとしての仕事は9割減る。

スポーツの嫌な部分を伝えないでいい年代層を何処に置くかは指導者の哲学器量となる。永遠にという偽者が消えていく時代になってるのを歓迎しようではないか。
紙に活字を書いて子供達に身に付けらせる技術、そういうものはサッカーにはない。難しそうに喋るうんちくに長ける奴には気をつけなくてはならない。カモにされるだけである。言葉は嘘が多いが、指導者がプロフェッショナルなら、素人に理解できるように伝えなくては、その言葉、そのコーチ、偽者でしかない。
いつも飲み屋で先人たちと議論している。

街では選挙の下準備に追われている。大きくも小さくも偽者たちが溢れだす。
趣味欄に野球と書いたビラを本人が俺に渡す。バカとしか思えなかった。実際にバカだろう。類は友を呼ぶと思われるので、付き合いは考えないとね。


週末は六年生最後の大会。練習に試合に、仲間の応援に、人間形成の集大成は大事に伝えてきたものの一つである「情」、まさに本性を後輩たちに報告していかなければならない。君子危うきには先輩の人柄を知って出来るもの。

本当に偽者の指導者が迷惑を被る。
優しい奴の中身を見抜け!

時間と環境が整ってると、毎回、練習に手応えを感じる。まだまだ私の眼は見えてるみたいだ。