全てのことに理由がある。

何でも要望があれば簡単に答えを出せる。子供を成長させるために預けてくる親の要求に応えるのも簡単だ。だから指導者を続けている。

答えを導き出すのは簡単なのだ。簡単だと思っているのだ。だから指導者をやっている。

指導って難しいねと感じるなら、チームの代表などやるわけがない。やってはいけない。

それくらいの常識は持ち合わせている。

 

監督やコーチという立場もまた簡単で居心地はいい。答えを教えてくれる人がいるし、木を見て森を見なくても大丈夫なポジションである。サッカーに集中できて気合いで乗りきれる事が沢山ある。周東FCの頃は楽なポジションだった。チーム運営のことに限っては考えなくてよかったのだ。全ての時間を子供達のサッカーに費やせたので、成長させる方法を見出して自分のスキルとした。

代表の背中を見て育ったので、真を真に捉えることができるのは財産となっている。

 

今日は練習にコーチが1人来てくれた。平日練習は当分の間一人でやってきたので、グランドにコーチが現れた時とても救われた気分になった。指導者になるスタートは、志願と頼まれたからという二つに一つ、最近の大人はほぼほぼ頼まれたからしか、子供達のためには働かない。社会に帰す男が少なくなった時代なのか土地柄なのか、希望はいつも遠くで微笑んでいる。

自ら志願するくらいの器量と長期的な考えが出来る思考レベルの人がいてもいいんじゃないかな。人材不足は場所によりけり。。。