同床異夢

何を買っても心が満たされない時は子どもへの教育に拠り所を見出だしてきた。成果をあげる方法を学んだわけではなく研究し続けながら答えを出し解法を伝える。
勉強にサッカー、どちらにしても教えるという場合は共に勉強しながらでは成り立たない。教える人物は学びを終え研究に徹しゴールに辿り着き、ただ知っていることを言うだけの、出来ることを見せるだけの、教える人との違いを魅せる。それが人に何かを教える人物といえる。
俺は先生であり続けてやる。監督やコーチなんて糞食らえだ。
今まで監督と呼ばれて気分がよくなったことなどない。こらからも同じだ。

我が子のように連れまわしサッカーだけを教えても人物にはならず。日本協会のエリートプログラム程度には選ばれるも、結局は何者にもならず。まあ所詮ナショナルトレセンの目なんてその程度のもの。福島アカデミーのセレクションも当時は失笑する始末だった。福岡のバルサスクールも同様に。自慢のスクール生は、何者にもならなかった教え子に秒殺だった。歯応えはお金のみといったところか。

日々学びながらの指導者なんかより研究しながらの指導者にサッカーを教えてもらわなくては。そういった要求を賢い奴等はしてくる。

未来のある子ども達を踏み台にしている隣のチームは1つだけではなくなってきた。巧妙なやり方に言い回し、引っ掛かる馬鹿は己を馬鹿だとは思っていない。盲目の眼を開く手伝いをしてくれる友もいないみたいだ。